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奈良県橿原市八木にある小5〜中3対象の高校受験専門進学塾。奈良・畝傍・郡山高校進学を目標に徹底指導を行います。

SHINGAKUJUKU SORA
進学塾SORA
奈良・畝傍・郡山高校を目指す塾
生徒全員を伸ばす塾
小5〜中3対象
塾長 上江洲康司
奈良県橿原市葛本町
834−2
TEL 0744-23-1586
受付時間
月〜土(祝日を除く)
14:00〜20:00




進学塾SORAの日常
進学塾SORAの 生徒と先生がくり広げる 日々の奮闘記(笑)

目次
「日常」001 現代版「蛍の光」
「日常」002 すべて大盛!

「日常」003 9月の勉強
「日常」004 授業を見ていただく!






001 現代版「蛍の光」

2006年8月22日
今日は凄まじい夕立が降った。タライをぶちまけたような降り方だ。雨が地面を叩きつける。ここまで激しいのは珍しい。

雨だけだったらまだよかったのだけれど、雷も凄かった。ちょうど朝から中3の生徒達が自習に来ていたのだけれど、女子はキャーキャー言っていた。無理もない。いくつかはかなり近いところに落ちた。光と音が間髪入れずピカッ、ドカーンだ。私も思わず声を上げてしまったのが、一発あった。

ふと、廊下や職員室の電気が消えた。停電だ。まあ今日びの停電のことだからすぐに復旧するだろうと思いながらも教室へ行くと、生徒達も楽しそうだった。台風とか停電といった「非日常」というのは何となくワクワクしたりするものだ。

そうこう言っているうちに電気が復旧したので、ほっと一安心。私は職員室へ戻った。しばらくするとまた停電だ。今度は何となく長い。復旧しないのである。生徒達のいる部屋は真っ暗ではないが、少し暗い。せめてブラインドを上げてやると少しはましかと思い、教室へ行くと・・・

私はてっきり停電が続くので、教室はざわざわしているものとばかり思っていたのに・・・

何と生徒達は黙々と勉強していた。落ち着きを取り戻した彼らは、停電という「非日常」をいとも簡単にスルーしていたのである。部屋は暗い。かなり字も読みにくかったろうに、物凄い集中力である。

さらに驚いたことには、携帯電話の画面を灯りにしているものや、キーホルダーの懐中電灯や、取り外しのきく自分の自転車の電灯をたよりに勉強している者もいたのである。そういうことをこれみよがしにするのではなくさも当たり前のようにやっているのである。

これには驚いた。こんな中学生がいるのだろうか。

自分たちの生徒が日に日に「凄み」を身につけていくのが嬉しくてたまらなかった。こんな彼らもほんの数ヶ月前に入塾してきたばかりなのである。初めての塾通いの子も、前の塾が嫌でやめてきた子もいるのである。

以前通っていた塾では「根性なし」扱いされた子が、かすかな光をたよりに黙々と勉強している姿を見て、感動せずにはいられない。
by kamiesu


002 すべて大盛!

今日で夏期特訓が終了した。一斉に「夏期特訓まとめテスト」を実施したのであるが、個人的には不満の残る部分もある。

しかしながら、皆よく頑張った。特に中3はずいぶんと成長した。(中1、中2はまだまだだ。しっかりやらさねば。)

彼らの頑張りがとても嬉しかったので、中3全員を「Baby Face」へ連れていって腹一杯食わせてやることにした。

「Baby Face」で注文するときには気をつけねばならない。この店は何から何まで大盛なのである。レギュラーにしてすでに2〜3人前である。ペペロンチーノ、シーフードピラフ、シーザーサラダ、カルボナーラ、モンゴルオムライス、何とか風(忘れた)ピラフなどを注文。「Baby Face」を知る人はこれがどのくらいの量かおわかりだろう。

しかしながら食べ盛りの中3は難なく完食だ。「Baby Face」の皿がいつもよりも小さく見えた。それにしても一緒に飯を食うというのはいいな。とてもいい。安かったのでまた連れてきてやろう。

あ、生徒のみんな、秋もガンガンいくからね。夏で燃え尽きたなんて許さないよー(笑)
by kamiesu


003 9月の勉強

2006年9月22日
受験生にとって、9月の勉強は夏休みの勉強に匹敵するくらい密度の濃いものでなければならない。

どの塾も夏休みは授業を詰め込む。覚えなければならないこと、身につけなければならないことを山盛りに詰め込むのである。当然、そのように大量のことを詰め込まれると「未消化」の内容が出てくる。それをしっかりと咀嚼して自らの体内に取り込み、血肉にしていくのは「9月」なのである。

しかしながら、9月は放っておくとなかなか勉強が進まない時期でもある。まず塾でしごかれた夏休みから解放され、いきなりゆったりし、リズムが激変する。おまけに文化祭や運動会なども行事が目白押しでなかなか集中できないのである。

逆に言うと、頑張りさえすれば、他人に差をつけることが容易ということでもある。成績を上げるということは、周りとの相対的な位置を上げるということなので、周りが全員頑張っているときに、頑張っても、「学力」がつくが、「成績」は上がらないのである。周りがゆったりしている9月こそ成績を上げるチャンスである。

我が塾の生徒達には「9月こそ大事!」とそれはもう口酸っぱく言っているのであるが、どうもピンと来ない子も多い。子どもは経験主義なので、未経験のことを理解させるのは相当に骨が折れるのだ。

しかしながら勉強をやってもらわないと前へ進まないので、具体的な課題を与え、授業中の気の緩みを引き締めにかかっている。

すべての学習の成果を11月の模擬試験にきちんと出させるため、生徒と一緒に奮闘努力だ。

あ、そうそう9月の末から中間試験の勉強も並行にやらせなければならない。一学期期末より更によい点数を取らせたい。

by kamiesu


004 授業を見ていただく!

広島で個人塾を経営されている「猫ギター先生」が、奈良に来てくださり、私の授業を見学くださったときの感想を書いてくださった。

「猫ギター先生」というのはもちろんハンドルネームであるが、塾の先生の書く塾ブログ界では、「猫ギター先生」は、知らぬ者がいないというくらいの有名人でいらっしゃる。一度グーグルあたりで「猫ギター先生」で検索していただくとその影響力が分かっていただけると思う。

なにを隠そう、私はこの方のブログを読んで、ノックアウトされた者の一人である。一匹狼の凄みにすっかり参ってしまったのである。多大な影響を先生からは受けた。私は先生の大ファンだ。そんな猫ギター先生に授業を見ていただいたのである。こんな光栄なことはない。

以下はその文章である。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

上江洲先生の授業を拝見した。

日曜の昼、1時間半ぐらいの補習。中3関係代名詞の授業だった。中3の諸君は授業の日でもないのに、上江洲先生の呼びかけ1つで、休日を犠牲にして補習に来たらしい。受験生特有の緊張感が伝わる。

先生の授業は、ありきたりな授業とはまるっきり違う。一見「自然体」の授業にも見えるのだが、そんな単純なものではない。

教師という種族の99.9%は、日常生活を送っている時より、授業中の方がテンションが高まる。授業中は血圧も高いだろうし、動悸も高まり、発汗量も増える。

とにかく授業になると、教師はハイテンションになり人格が変わるのが普通だ。役者にもロックシンガーにもそんな人が多い。

たとえば俳優の山崎努は、いつもは極度にシャイな人で、楽屋では緊張して無言を通しているが、舞台に立つと感情の露出度をフルに上げて「リア王」を演じて感情を爆発させる。
忌野清志郎もいつもは枯れた感じのオッサンだが、ステージでは気が狂い暴走する。
教師も、講師室でのヒソヒソ声とはうって変わって、教室で生徒を前にすると声が10倍ぐらいに跳ね上がる人がいる。

上江洲先生は違う。授業中に発する言葉の音量はふだんと変わらない。目立ちたがり屋が多い塾講師には珍しい。

ただ、音量は変わらないが、発声の「深度」が深くなる。
発する声は静かなのに、聴者を「シーン」とさせる磁力を発していらっしゃる。
思わず手を膝の上に置いてしまう声であり、話し方なのだ。
「ケレン味の強い講談師」ではなく「高僧の法話」、「ロックのライブ」ではなく「クラシックのコンサート」みたいな授業とでも言えばいいのか。

「クラシックのコンサート」と言うと眠いイメージがあるかもしれないが、むしろ逆で、緊迫感で睡魔など付け入る隙はなく、生徒はみんな上江洲先生に催眠術にかけられた如く、授業を一言一句聞き逃すまいとしている。

授業中、生徒が一番人の話を集中して聴く時間は、おそらく英語のリスニングの時じゃないかと思う。
英語のリスニングCDが流れている時に、教室がざわつくことなど考えられない。ネイティブが話しているとき、どんな生徒も英語で語られる情報を聞き漏らすまいと恐るべき集中力を示す。
何と、上江洲先生の授業はリスニングの時と同じくらいの緊張感があった。

凄かったのは、先生が授業中、一度3分ぐらい席を外されたときの事である。
私も生徒と同じく、後ろの席で先生の授業を聴いていたのだが、上江洲先生が教室を去りドアが閉まった瞬間、生徒達はなんと一斉に咳払いを始めたのである。
クラシックのコンサートでは、交響曲の楽章と楽章の間に観客は咳払いをするのだが、先生の授業は、クラシックのコンサートと同じ種類の緊張感が漂っているのだ。

さて、英語の先生なら理解していただけると思うが、関係代名詞という分野は文法用語のオンパレードである。
経験不足の英語教師なら、関係代名詞の習い始めに、主格だ目的格だ先行詞だ接触節だ目的格の省略と、文法用語を羅列し説明が小難しい話になりがちで、生徒の頭を混乱させてしまう。

しかし上江洲先生の関係代名詞の授業で、「先行詞」という文法用語がはじめて登場したのは、なんと授業開始後65分もたってからだった。
私だったら授業開始3分で、安易に「先行詞」という言葉を使うだろう。

たっぷり1時間、慣れない文法用語を使わない授業がひたすら続き、生徒達が関係代名詞の世界に慣れて初めて文法の専門用語がポンポン上江洲先生の口から飛び出してきた。
上江洲先生の授業では、文法用語は生徒を煙に巻くためでなく、理解を深化させるために、満を持して登場するのである。文法用語が英語を不必要に難しくする悪しき障害ではなく、英語を構造的にスッキリ理解させてくれる便利な道具だということを再認識させていただいた。

また先生の授業は、一般的でありきたりな教え方を懐疑し、教える順序を生徒にわかりやすいように再構築した授業だった。
関係代名詞を主格→目的格ではなく、目的格→主格の順番で教えるという1点にしても、独創性の高さを感じた。

さらにここが一番私が感銘を受けた点なのだが、上江洲先生の授業は、外見だけきらびやかな授業に対する、強いアンチテーゼになっているのである。

予備校の人気講師の授業は「衝撃性」はあるが、生徒の成績を長期的継続的に伸ばす授業かといえば、必ずしもそうとは言えない。派手なケレンは短期間で飽きられる。
授業は生徒に対して日常的、継続的に行われるものであり、上江洲先生の方向性はまさにその辺りにある。

予備校の派手な講師の授業はフレンチや中華という特別な日のゴージャスな食べ物だが、先生の授業は「米の飯」を志向されているのだと、私は思った。
米の飯は毎日食べても飽きない、しかも食べなければ日本人は生きてゆけない。

上江洲先生の授業は、高い合格実績を上げる授業である。
先生は難関高校に数多くの生徒を合格させてきた。実績で先生に適う人はそんなにいない。
また、先生と生徒の人間関係は一過性のものではない。永続性の強いものだ。先生が教え子から慕われていることは、先生のブログからも強く窺い知れる。

上江洲先生が教え子から慕われるのは、先生が生徒の合格、すなわち生徒の人生に対して強い「責任」を背負ってこられたからに他ならない。生徒は誰が自分を一番可愛がっているか、わかるものだ。
生徒を合格させなければならないという「責任」を背負った授業が、私はどんなものか上江洲先生の授業から教わった。

上江洲先生の授業を聴くと、関係代名詞という新しい知識が確実に定着する。
先生の授業で、関係代名詞という土台強固な新築の家が、脳内に確実に建った。
知識を与え、思考方法を構築するのが授業で一番大事なことだ。先生の授業は授業の本質を踏み外さない、きわめて純度の高い授業だった。

そう、上江洲先生の授業は純度が高い。濃度が高い。
普通の講師の授業では、おそらく生徒は内容の50%も理解できずに帰るだろう。薄い授業は時間の無駄である。

しかし上江洲先生の授業は、先生が語った内容が、97%は生徒の頭に入る授業である。先生の授業を聴いていたら、先生の知識が、そのまま生徒の頭に漏れなくダウンロードされる錯覚にとらわれる。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ずいぶんよく書いていただいているので5割くらいは差し引いていただいて読んでいただいた方がよいかもしれない(笑)

しかしこの部分、

さらにここが一番私が感銘を受けた点なのだが、上江洲先生の授業は、外見だけきらびやかな授業に対する、強いアンチテーゼになっているのである。

予備校の人気講師の授業は「衝撃性」はあるが、生徒の成績を長期的継続的に伸ばす授業かといえば、必ずしもそうとは言えない。派手なケレンは短期間で飽きられる。
授業は生徒に対して日常的、継続的に行われるものであり、上江洲先生の方向性はまさにその辺りにある。


この部分に関しては、私が一番こだわってきたところだ。「きらびやかな授業に対してのアンチテーゼ」という部分を拝読したとき、私はまさに雷に打たれたような衝撃が走った。

たった1回の授業を見ただけで、私がこだわってきた部分を看破されたのである。先生の力量には脱帽するしかない、そう思ったと同時にとても嬉しかった。「理解される」ことはとても幸せなことであるからだ。

世間の噂では、進学塾SORAはとても厳しい塾ということになっているらしい。それは事実であると思う。しかしながら、「厳しい」のニュアンスは決して、怒鳴りあげられたりするような「厳しさ」ではなく、この授業に流れているような、張り詰めた緊張感が生み出す、学ぼうとする者にとっては心地よい「厳しさ」なのである。

追記:このHPに「猫ギター先生」の文章を載せるに当たって、先生に掲載のご許可を頂こうとご連絡させていただいたところ、先生はご自身のブログの文から、ご丁寧にも改めてご推敲の上、寄稿くださった。この場を借りて先生にはお礼を申し上げたい。